9月28日午前2時30分・金。曇り。①26日、大先輩のOさんの葬儀に行った。キレイな顔だった。「オイ、ヨッサカ、交野市はどうなっとんねん?」と言われそうだった。交野に社会党の支部を一緒に作った。最初に行動したのは、国鉄への要望。片町線を走る車両が、余りにも酷いので,「何とかしろ!」と。冷暖房はなく、乗降は手動というような車両だった。交渉相手の国鉄の責任者は、私と同年で、近所に住む「風呂仲間」だったのを思い出した。交渉が終わった後彼は、「問題」を認め、「何とかしよう」と言ってくれたが、正式な回答は、その後、片町線が学研都市線となり、一挙に「満額回答」をもらえた。私の選挙の時は、知人を呼び、一軒ずつ「確認」を取ってくれた。市役所に「自治労」を作るためにも尽力した。「窮鳥 懐に入れば 猟師もこれを殺さず」の人だった。実際、思想の違うNさんが相談に来た時も、次の「道」を示し、Nさんはその「道」を選択し、紆余曲折はあったものの今も活躍している。惜しい人を亡くした。残念でならない。 ②昨夜、「星田北開発を考える市民の会」の会合に久しぶりに行った。地権者を含めて、市長選後の市の対応の予測や、大林組と戸田建設の動向について話し合った。その中で、「境界線の確定」での市の「姑息なやり方」や個別の「切り崩し」についての報告を受けた。結果、「事業は進展していない」との共通認識となり、「今後、攻勢をかけて行こう」となった。 ③「失敗」した。昨日二度、知らない電話番号から電話があった。誰だろうと思ってかけ直した。出てきたのは「河北新聞」。切ろうとしたら、「来年の市議選に、立憲民主党から出るんですか?」と。変なことを書かれてもイヤなので、「私が? ない!ない!」と応えると、「どなたか候補者はいるんですか?」。「しまった! 電話するんじゃなかった」と思ったが、後の祭り。「河北」に記事を提供してしまった! 失敗した。反省しきり。
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