2020年9月21日20:13・月祝。晴れ。①今日は私の75歳の誕生日。1945年昭和20年に、母の実家・徳島県阿南市桑野町で生まれた。大阪空襲を避けて、避難してきた。祖父のつけてくれた名前は幸一。田んぼしかない桑野町も空爆を受けたらしい。生後半年たって母と大阪西淀川に戻った。「よくここまで生きてきたもんだ」と思う。10歳の時に、それまで「健康優良児」で表彰されていたのに「肺門リンパ節炎」と診断されて、病院通いしたことと、62の時にチョットした?病気に罹り、1週間ほど入院したくらいで、生き永らえた。前妻を難病LSDで亡くし、5年の後雅子と一緒になった。それを契機に娘二人と疎遠になった。75年の人生を振り返ると、色んなことがあった。学生運動から労働運動、そして政治活動と。はからずも、大先輩の牧内さんや奥野さん等に推され、総評や父と母の人脈のお陰で市議になったりもした。波乱万丈とは言わないが、それなりに生活を楽しみつつ、「反帝ヤクザ」的に過ごしてきた。私の信条は、「世の中から貧乏人をなくすこと」。そのために、今でも「平和と差別と不公正」には黙っておられない。「人生に悔いなし」を死ぬまで追求したい。父に会いたい! ②「二人で久しぶりに外食しようか?」と、珍しく雅子が言ってきた。「そうやな」「永いこと行ってないHに行こか?」「6時にな!」。そんな甘い?話は、4時半の電話で吹っ飛んだ。雅子の叔母が骨折して緊急搬送されたという。「すぐに病院に行って入院の手続きをせなあかんねん」「それで?」「今から一緒に行ってくれへん?」「うん、わかった」。で、計画はオジャン! 「大変な誕生日でごめんね」「しょうがないな」。5時に出て8時に帰宅。家で食事。でも、高価な日本酒と「ウナ丼」。美味しかった!
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